《青空球児・好児》 青空 球児|住生活を支える新聞株式会社のWebマガジン
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2016.09.29

《青空球児・好児》 青空 球児

漫才師とマイホームとは

 漫才師にとってのマイホームを持つということは、夢でありステータスであり信用を勝ち取るということだと思う。
 今でこそ賃貸の方が良いなんて人もいるが、我々の時代の仲間たちは、「売れていい車に乗って、庭付きの一軒家を持つ。これが一流の証だ!」と先輩芸人から教わった記憶がある。

 漫才師を志したころ、まず師匠の家に内弟子という形で入り、師匠の家で生活をしていた。もちろん師匠の奥様、子供も一緒に生活するので心地がいいといったことは全然なかったけど…まあ自分の家ではないからね。
 修行の身なのである程度は我慢していたけど、便所掃除に庭の草むしり、運転手、子守り…毎日毎日この繰り返し。芸のことなんかちっとも教えてもらったことはなかった。挙句の果てには「芸は教えるものじゃない。盗むもんだ!!」なんて言って。お手伝いさんじゃないんだぞと思っていた。
 奥様、子供にも気を使わなきゃいけなかったのは正直嫌だった。あんまり人に気を使うのが得意な方じゃないから、何でガキにまで気を使わなきゃいけないんだ。と思いながら生活していた。ある時子供があまりにも生意気だったから、バレないように子供のことをコツンとやってやった。当然、告げ口されて破門になり、何か月かして兄弟子が迎えに来てくれて戻れたなんてこともあった。
 そんな生活から数年、演芸場に出たり、小さい仕事をいただいたりして、仲間とアパートを借りられるようになった。今度は破門じゃなく、自力で師匠の家を出た。
 そんな苦い思い出ばかりの内弟子時代だったけど、師匠の家は本当に立派な家で憧れた。自分も絶対に売れて、マイホームを建ててやる!そう思えたのも芸で成功した人が身近にいたから、本気になれたのかもしれない。でも、やっぱり自分が売れて弟子が出来ても絶対に内弟子はいらないとも思った。

 それから何年かして漫才コンクールで優勝し仕事も増えた。ようやく漫才師として生活が出来るようになった。結婚を考えるようにもなった。
 女房の両親に結婚のあいさつに行ったときは反対されなかったけど、大丈夫なのか?という感じがひしひしと伝わってきたのは今でも覚えている。
 まあ、これには自分にもいけない部分がある。あいさつの時に「幸せに出来るか出来ないか、それはわかりませんが、結婚させていただきます」と言ったからだろう。
 そんな自分が女房の両親から信用を勝ち取ることが出来たきっかけ、それがまさにマイホーム購入だった。子供も出来、マイホームを建てたことにより、漫才師という仕事を認めてくれるようになったと感じた。
 また、マイホームを建てることにより、漫才師として成功した証を示せたのではないかとも思った。仲間からはゲロゲーロ御殿とか言われ冷やかされたけど、嫌な気はしなかった。むしろ心地は良かった。
 今までに何人かの弟子を取ってきたけど、内弟子だけは絶対に断ってきた。自分の内弟子時代があまり良い思い出ではないのと、自分の家は出来るだけリラックスできる場所にしたいと考えているから。この仕事をしていると、どこで誰が見ているかわからない。やっぱり落ち着けるのは自分の家。マイホームだ。
 この仕事をしていると博打をしたり、見栄を張ったり、本当に財産が残らない。まあ、これは仕事が悪いわけじゃなく、自分がいけないのかもしれないけど…。
 今残っている唯一の財産がマイホームだ。当時はきつかった。でも、今となれば本当に無理してでも頑張ってマイホームを建てて良かったと心から思う。

 最後に余談だけど、家をリフォームする時に家族会議をしたことがあった。議題は、家をリフォームするか競走馬を買うか?ということだ。女房と子供に「お願いしますからリフォームしてください」と言われ、リフォームをすることに落ち着いた。
 こちらも今となればリフォームにしておいて良かったなとつくづく思う。
《青空球児・好児》 青空 球児
青空 球児

現漫才協会会長
昭和40年、青空球児・好児を結成。
昭和54年、漫才協団・真打ち昇進。
「ぼくの故郷」のゲロゲーロで一躍人気者に。
逆さ言葉は十八番。
モットーは「万年青年」。
漫才だけでなく、ドラマ、舞台でも活躍している。