闘将野村~弱小企業を一流へと導く新経営理論~(第3回)|対談|住生活を支える新聞株式会社のWebマガジン
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2020.01.06

闘将野村~弱小企業を一流へと導く新経営理論~(第3回)

闘将野村~弱小企業を一流へと導く新経営理論~(第3回)
「迷いのない決断」が会社を成功へと導く

 創業の経営者は、思い入れが深い分、大塚家具のようにならないように、あらかじめ会社を客観的に見られるよう手放す心の準備をしておかなければならない。その方がスムーズに次のステージに進むことができるのではないだろうか?

外様社長と従業員

-ヤクルト時代は、岡林選手をはじめ、ピッチャーを3人獲りましたよね。

野村 阪神とは対照的。ヤクルトはすべて俺の言うことを聞いてくれたね。ドラフトで現場と編成で揉めたのよ。その時の球団社長が相馬さん※っていうんだけど、この人の一言だった。

「お前らごちゃごちゃ言ってないで監督の言う通りにせぇ!」

これで終わりだよ。

 M&Aや創業社長が変わるとき、少なからず従業員との軋轢が生じる。どの従業員も、新社長に対して表では頭を下げても、本音ではお手並み拝見というところではないだろうか?
 特に今までの経営と大きく方針や風土を変えようとするとき、会社の歴史があり、創業社長が長い時間をかけて作り上げた会社ほど、社員の気持ちを切り替えさせるのは難しい。
 社員も目の前の給料が「来月から3倍になります」のような会話であれば喜んで協力するかもしれないが、新しいやり方は、今までの評価対象と異なるということであり、覚えることも増える。同じ給料で体制が変わるということは社員にとってストレスになる。
 よって、新社長は明確に今後のビジョンの説明をすることと、早めに社員に試されている色眼鏡を覆す実績が必要となるのである。

 ここでの相馬社長の一言で、現場の向く方向は、新社長(監督)ひとつになったのである。こうしてヤクルトの黄金時代は、新旧の体制が一体となることで創られた。
 相馬球団社長は、ドラフトの抽選において、「迷ったら駄目、最初に触ったものを引く」と発言している。それは球団経営においても同じことであり、「野村監督に任せる」と決めたら迷わない。この決断が従業員(選手)にも安心を与えたに違いない。
 社員も社長の顔色を見て仕事をするものであるから、社長が優柔不断な会社で成功することはない。迷いのない決断が成功する会社を作るということを象徴したヤクルトの黄金時代だった。逆にトップが判断を迷うようになったら、その時は経営者として引退の時期ではないだろうか?

 1989年のオフシーズン、ヤクルトが野村克也氏に監督就任要請をした際、ヤクルト本社の役員はファミリー主義を受け継いでいたため、それに全員反対したという。しかし、相馬球団社長は、「失敗したら(成績が芳しくなかったら)自分も辞めます」と役員の前で宣言し、説得したと言われている。
 ここまで言われてやらない社長いるだろうか?相馬球団社長もまた一流の実業家であり、一流の経営者であったからこそ、ヤクルトは変わったのである。会社を変えるのは最後はトップの熱意である。

※相馬和夫(1927年1月15日-2005年7月23日)
 のちに伝説の球団社長と言われる一人である。日本の実業家。元ヤクルト本社取締役、元ヤクルトスワローズ(株式会社ヤクルト球団)球団社長。1985年~1993年まで球団社長を務め、野村監督の監督招聘に成功し、1990年代の日本一3度、リーグ優勝4度のヤクルト黄金時代に尽力した。