闘将野村「新経営論」第12回|住生活を支える新聞株式会社のWebマガジン
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2017.11.06

闘将野村「新経営論」第12回

闘将野村「新経営論」第12回
埋もれた才能

誰もが若いときには自分の可能性を信じて夢を持つ。
いつの頃からか、現実を知って夢を持つことを諦める。
そして、俺にも才能があったら別の人生もあったのになぁ~と酒を浴びるのである。

-監督は自分に才能あるといつ頃に気付いたのですか?

野村 才能あるなんて気付かないよ。上手いなというより好きだな。

-チームの中では、ずば抜けて野球ができたのですよね?

野村 中学3年生で野球部入って、みんながビックリしていたのは覚えている。
-それは凄く練習したのか、それともはじめからある程度才能があったのか。

野村 バットなんて持ったことないね。

-持ったことないけど打ったら凄かったっていうのは、やっぱり才能あったのでしょうね。

野村 田舎では軟式の柔らかいボールで、山行って竹を切ってきて、竹で三角ベース作って学校の休み時間しょっちゅうやっていた。それくらいの経験しかない。それで野球部入ってポンポン打てて自分でもビックリしたんだよ。みんなも凄いなぁって褒めてくれて調子に乗ってやっていたんだよ。
みんな同じだと思うのだけど、先にピッチャーに憧れるんだよ。ピッチャーやっていたエースがいて、俺にピッチャーやられると困ると思ったのかね。「お前絶対キャッチャータイプだ」って言うんだよ。「胴長短足のお前が座ると投げやすい」って言うからキャッチャーになったんだよ。

-もしピッチャーをやっていたら、ピッチャーの才能が開花していたと思いますか?

野村 思わない。

-それはやっぱりキャッチャーで良かったのですね。

適材適所、もしあの時ピッチャーを選択していたら・・・
キャッチャ―野村誕生の瞬間である。

野村 プロテストで「投げる」「打つ」「守る」「走る」テストがあるのだけど、80メートル、90メートルでセンターから投げるテストがあった時に一投目投げるわけよ。一年先輩のカワチさんという人が、スタートライン右から2投目投げる時に「前行け!前行け!」って言うからお言葉に甘えて5メートルくらい前で投げて難関を突破したんだよ。ついているよな。本来ならそこで落とされているよ、紙一重だよ。

-それでスカウト来なくてカネボウに就職してからというようになるのですかね?

野村 カネボウ行こうか迷ったのだけど、テストで合格したんでカネボウ放棄してやっぱりプロの方がいいから、それでプロに入ったんだよ。プロ入ったけどやっていることっていったら一日ブルペンキャッチャー。

-そこでもキャッチャースタートなのですね。

野村 そらぁキャッチャー出身だから。フリーバッティングにも二軍の試合にも使ってくれない。一日中ブルペンでキャッチャーの球受けるだけ。ほんで夏頃かな、あまりにも不安になってきて二軍のキャッチャーの部屋に行って、一つ教えて下さいって言ったんだよ。「我々テスト生は全然試合にも使ってもらえない補欠扱いなんですけど、何故なのですか?」って言ってやったら、「やっと気が付いたか本当の事言ってやるけど、後は自分で判断せぇよ」って言われたわけ。それで「なんですか?」って聞いたら「実はテストは、ブルペンキャッチャーとバッティングキャッチャーをとるのが主の目的だ」ってよ。

 野村監督は、昔のことを思い出したのだろうか、投げ捨てるように渋い顔で言い放った。

 企業によっては、未だに学閥があったり、高卒だとここまでしか昇進できないと決めている会社もある。プロパー組だから、親会社から来たからなど、大きい会社ほど実力よりも社内営業をして、ごまをすった方が出世できるといった会社もいまだに多い。

 実力があるのであれば、そんな会社飛び出すべきだ。いや、まだ行動していないから実力は分からない。分からなくてもそれを超える情熱があれば、飛び出したら良いのだ。

 今は終身雇用の時代ではない。会社も保証してくれない。65歳を過ぎたからといって、年金もいつまでもらえるか分からない。国も保証してくれないのである。
ベンチャー企業への就職もあれば、起業しても構わない。何故なら、日本では失敗というのはない。例え起業して失敗したからと言って、いつでも就職しようと思えば就職できるし、アルバイトでも家族を養うくらいは稼ぐことができる。失敗も次の仕事への糧とすれば良いのである。

 どれだけの才能が発掘されずに、日本に埋まっているのだろうか?事を起こさなければ、野村監督も発掘されない才能だったのだから。

次回 『運は自分で引き寄せる。才能を見つける経営者とは』に続く