真説 賃貸業界史 第1回「管理業のルーツを探る」|住生活を支える新聞株式会社のWebマガジン
豆知識

2017.12.25

真説 賃貸業界史 第1回「管理業のルーツを探る」

真説 賃貸業界史 第1回「管理業のルーツを探る」
戦前から5%の管理手数料を徴収

 日本における賃貸管理の歴史を紐解いていくと、それは江戸時代にまで遡ることになります。当時は、土地と建物の所有者は別々であることが多く、地主は家守(いえもり)と呼ばれる人々や、裕福な商人などに所有地を貸し出していました。土地を借りた家守や商人は、そこに自ら住むための建物や、あるいは人に貸すための長屋を建てるなどしていました。
 長屋の造りは非常に簡素で、玄関を入るとすぐ竈(かまど)を併設した土間、奥に6畳間という間取りが一般的でした。家賃の集金や住人の世話など、今で言う管理業務は、家守や商人たちが雇った管理人が行っていました。ただし、当時の管理業務は今ほど煩雑で手間暇のかかるものではなかったでしょうから、両者を同じものとして扱うのには少々無理があるかもしれません。「大家(おおや)」という言葉もすでにありましたが、これは建物を所有している家主でなく、管理人を指していたそうです。家主と同義になったのがいつ頃のことなのかは分かっていません。この時代にはまだ、管理を請け負う専門的な業者は存在していなかったと思われます。
 明治になると、手数料を徴収して貸家の管理を請け負う、現在のビジネスモデルに類似した賃貸管理業者が登場します。その元祖と言われているのが、藤尾幸一氏によって、明治26年に神戸の地で創業された合資会社兵神館です。この会社は創業から約120年が経過した現在も、いくつかの変遷を経て、帝国信栄株式会社として現存しています。初めて耳にするという方も多いと思いますが、もともと兵庫県内の地主らが集まって、それぞれが所有する貸家をまとめて管理するために作られ、後に一般の貸家の管理も行うようになったそうです。

最盛期には9万戸もの貸家を管理

 兵神館の当時の業務内容については、平成26年に太田秀也日本大学経済学部教授(当時)がまとめた『賃貸住宅管理業の沿革~兵神館(帝国信託、帝国信栄)の記録~』に詳しく書かれています。これよると、「貸家貸地ノ管理及其賃貸料ノ取立竝ニ保證」「貸家ノ修繕及貸地ニ對シ施工請負ノ事」とあり、つまり土地家屋の管理を中心に事業展開していたことが、明治33年の株式会社兵神館定款から確認できるそうです。
 また、大正8年下半期営業報告には、「土地家屋管理営業の許可を受けた」という記載があります。この年の7月21日、兵庫県は「土地家屋管理周旋営業取締規則」を発布し、「土地家屋管理営業を行おうとする者は、手数料保証料等の報酬額、管理契約約款等を定めて許可を受けること」というルールを定めました。つまり市の許可を受けて管理業を行っていた兵神館は、当時から管理手数料を徴収するビジネスモデルを確立させていたと考えることができます。
 どの程度の管理手数料を徴収していたのかについては、昭和18年に作成された、会社概要や営業種目をまとめた「営業案内」という資料で確認することができます。そこには、土地が「土地地料収入金高ノ百分ノ四」(4%)、借家が「家屋家賃収入金高ノ百分ノ五」(5%)と書かれています。現在の管理手数料の相場は5%前後ですが、これが定着するのは1980年代以降のことです。ところが帝国信栄は、戦前からすでにこれを実践したというのですから驚きです。
 また、帝国信栄はただ歴史が古いだけの管理業者ではありませんでした。太田氏の資料に書かれている管理戸数を見ると、とてつもなく巨大な会社だったことが分かります。もともと仲間内の物件を管理することを目的に兵神館として作られた帝国信栄は、時代が進むにつれて徐々に外部の貸家の管理を請け負うようになりました。明治43年の資料には、合資会社集金社と日神社から管理物件を引き継いだという記録があります。この頃の神戸には、帝国信営以外にも、いくつかの管理業者が存在していたようです。
 昭和8年頃には、事業エリアを西は明石から東は大阪市内にまで広げ、最盛期と見られる昭和18年頃には、管理戸数は約9万戸に達していたそうです。『全国賃貸住宅新聞』が発表している「2017全国管理戸数ランキング」によると、現在、9万戸以上を管理している会社は全国でわずか9社しかありません。これらはいずれも、全国展開している大企業ばかりです。70年以上も前に、帝国信栄が兵庫県と大阪の一部の地域だけで9万戸もの貸家を管理していた事実は、大変驚くべきことです。
 戦前に国内最大規模の管理戸数を有していた帝国信栄ですが、その後の第二次世界大戦の空襲や阪神・淡路大震災で管理物件が被災した影響で、事業規模を縮小させました。現在の管理戸数は約4000戸だそうです。
 日本で有償管理が始まったのは、昭和40年代頃というのが一般的な認識です。しかし実際には、それよりもはるか前から、帝国信栄は管理手数料を徴収して管理を請け負っていました。しかも当時から管理手数料5%という、今の業界スタンダードを実践し、最盛期に9万戸もの貸家を管理していたのです。
 余談ではありますが、兵神館を創業した藤尾幸一氏は、明治35年創業の精米卸販売大手、神明(兵庫県神戸市)の創業者一族だそうです。これは想像でしかありませんが、もしかしたら神明は、兵神館が管理する貸家の所有者である農家を支援する目的で作られたのかもしれません。そうだとすると、兵神館及び藤尾家の視野の広さにはさらなる驚きを感じます。

執筆:山本政之(賃貸ビジネスジャーナリスト)