真説 賃貸業界史 第21回「バブル時代に隆盛を極めた不動産会社・木村産業」|住生活を支える新聞株式会社のWebマガジン
豆知識

2019.10.07

真説 賃貸業界史 第21回「バブル時代に隆盛を極めた不動産会社・木村産業」

真説 賃貸業界史 第21回「バブル時代に隆盛を極めた不動産会社・木村産業」
相次ぐ不祥事で信用が失墜 創業から39年で倒産

 今日買った不動産が明日には倍の値段で売れる、そんな信じがたいことが現実として起こっていたバブル時代には、一獲千金を夢見て多くの経営者が不動産投資に熱狂した。当然、そんな夢のような出来事がいつまでも続くわけはなく、一夜にして大金を手にした経営者達のほとんどは、バブル崩壊とともに姿を消した。今回はバブル期に不動産投資で財を成しながらも、2010年に倒産して姿を消した木村産業を取り上げる。

 -ハートのビル創り-大阪市内を歩くと、建物の最上階にこのキャッチフレーズが書き込まれた賃貸マンションを今でもよく目にする。西洋の城を模した独特のデザインに、色褪せた紫色の外壁と緑色の屋根。そう、これこそがバブル時代に一世を風靡した木村産業の象徴とも言えるワンルームマンション「ルネッサンス」だ。
 木村産業は1971年創業の不動産会社で、当初は自社ビルの賃貸業を主な生業としていた。急成長を遂げるきっかけとなったのは、83年に始めたマンションの一棟売り事業だ。先述の「ルネッサンス」シリーズと銘打ったワンルームマンションを投資家に販売するとともに、自社でも大量のワンルームマンションを保有。旧・住専をはじめさまざまな金融機関から多額の資金を調達し、最盛期の90年には113億円を売り上げた。保有物件数は5000戸を超え、まさに日本を代表する大家主に成長した。
 しかし、急成長に反し、評判は決して良くなかった。今ほど規制が厳しくなかった時代だったとはいえ、入居者と頻繁にトラブルを起こす会社としても有名だった。当時の木村産業をよく知る人物は、「特に退去時の保証金の精算でトラブルになることが多かった。返還しなければならない分も、何だかんだと言いがかりをつけて結局返さない。今ほど入居者に有利な時代ではなかったので、泣き寝入りした人も多かったと思います」と話す。販売した物件についても、ダミーで身内を入居者させて満室を装い、利回りが高いように見せかけていたという証言もある。
 とはいえ、それでもバブル期を象徴する不動産会社の一つであったことは間違いない。それがなぜ、倒産に至ったのか。原因はバブル崩壊に伴う急激な市況の変化にあった。金融機関からの資金調達もままならなくなった結果、売上が急速に落ち込む。95年の売上は約53億円と、最盛期の半分以下の水準にまで減少した。多くの不動産会社と同様、木村産業ももうもたないと思った人は多かったのではないだろうか。
 しかし、周囲の心配をよそに、木村産業は一時的に復活する。起死回生の一手で始めたパチンコ店経営が当たり、2年後には過去最高となる約136億円の売上を上げてみせたのだ。「このままうまく事が運べばもしかしたら・・・」、誰もがそう期待した矢先、立て続けに事件が起こった。98年に、当時の住宅金融債権管理機構から債権回収を妨害したとして役員らが逮捕。さらに、2000年には所有物件の競売を逃れるために、強制執行妨害をしたとして社長までもが逮捕されてしまった。評判は失墜し、今後も同社を支えるはずだったパチンコ事業も売却せざるをえなくなってしまった。影響は想像以上に大きく、2001年の売上は約10億円にまで落ち込んだ。保有不動産を売却し、一部の金融機関から債務免除を受けて有利子負債の圧縮を図ったが、倒産へのカウントダウンはこのときすでに始まっていた。
 その後、しばらく目立った動きのなかった木村産業だが、2000代後半に差し掛かった頃にマスコミが報じた2つのニュースで再び世間の注目を集めた。一つは2007年2月8日付の読売新聞で報じられた、女性社員へのセクハラ疑惑だ。グアム島への社員旅行の参加者を募る際に、当時の社長と同じ部屋への宿泊を求めたと言うのだ。すぐに条件は撤回されたものの、これで木村産業の悪評が再び世に出ることになってしまった。そして2009年5月、とどめを刺すニュースが世間を駆け巡った。いわゆる「追い出し屋」訴訟で、同社が大阪簡易裁判所から損賠賠償の支払いを命じられたと、マスコミ一斉に報じたのだ。もはや信頼を回復する術は残されていなかった。金融機関と借入金の返済について調整を図っていたが、2010年9月、解散を決議し、木村産業は倒産。39年の歴史に幕を下ろした。負債総額は約350億円だった。
 バブル期に不動産事業で急成長した会社の多くは、バブル崩壊から数年のうちに経営破綻している。そう考えると、木村産業はよく延命した方だと言えるだろう。それどころか、経営陣が会社の立て直しにもっと真摯に取り組んでさえいれば、もしかしたら今でも存続できていたかもしれない。実際、パチンコ事業で一時的に復活の兆しを見せていただけに、惜しまれる。
 また、一世を風靡した会社とあって、関西には同社出身の不動産会社経営者は多い。総合不動産会社であるデイグラン(大阪市西区)の岩城宏和社長や、ホテル運営などを手掛けるアベストコーポレーション(兵庫県神戸市)の松山みさお社長などは、その代表格と言える存在だ。