真説 賃貸業界史 第30回~大阪北摂エリアを代表する不動産賃貸業者 ナンノグループ~|不動産|住生活を支える新聞株式会社のWebマガジン
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2020.08.31

真説 賃貸業界史 第30回~大阪北摂エリアを代表する不動産賃貸業者 ナンノグループ~

真説 賃貸業界史 第30回~大阪北摂エリアを代表する不動産賃貸業者 ナンノグループ~
創業者は元大阪府民信用組合理事長

 -今日買った土地が明日には1.5倍の値段で売れる-昭和から平成にかけてのバブル期には、世の中の狂喜を追い風にのし上がった不動産業者がいくつもあった。大半はバブル崩壊とともに露のごとく消えていったが、中には今なお健在の業者もある。今回は大阪北摂エリアで不動産賃貸業を営むナンノコーポレーション(大阪府摂津市)についてまとめた。

 大阪と京都を結ぶJR京都線を走る電車の窓から外の景色を眺めていると、「ナンノ」という看板の付いたビルやマンションが次々と目に飛び込んでくる。その数、ざっと数えただけでも20棟以上。普段、通勤などで京都線を利用している方は、何度も目にしたことがあるのではないだろうか?
 「ナンノ」は、大阪北摂エリアを基盤に不動産賃貸業を営むナンノコーポレーション(大阪府摂津市)の所有する物件の屋号だ。ホームページには、同社が所有する物件の数は50棟と書いてある。電車から見えるだけでも20棟以上あるのだから、おそらくこの数に間違いはないのだろう。大阪には1000室以上のアパート・マンションを所有する大規模な不動産賃貸業者が多いが、ナンノコーポレーションもその一つだということだ。
 同社は昭和46年11月、南野洋(みなみの・ひろし)氏によって設立された。ナンノグループの中核会社で、以前は新千里ビルという社名だった。残念ながら本人は2017年4月に老衰で亡くなっているため(享年74歳)、(一社)大阪府宅地建物取引業協会の会員名簿によると、現在は出口康二氏という人物が社長を務めているという。大阪を代表する不動産賃貸業者を率いた南野洋氏とは一体、いかなる人物だったのか。
 南野洋氏の名が広く世に知られるようになったのは、富士銀行(現みずほ銀行)が関西進出に際し、地場の金融機関である大阪府民信用組合を吸収合併する動きをしたことがきっかけだった。このとき南野氏は、不動産賃貸業を営む新千里ビルの社長であるとともに、同信組の理事長のポストに就いていたのだ。もちろん、関西の不動産業界では以前から名の知れた存在だっただろうが、世間一般に広く名が広まったのは不動産会社の社長としてではなく、府民信組の理事長としてだった。
 大阪府民信組理事長に就任した南野氏は、戦後最大の経済事件と言われたイトマン事件に絡むとともに、乱脈融資を主導して府民信組を経営破綻へと追い込んだ。一方で理事長という立場を通じて深い関係になった富士銀行に、自らが経営する新千里ビルに次々と大型融資を実行させ、本業である不動産業を拡大。府民信組の1200億円にも上る不正融資が発覚した後にも、京都の土地の買収資金として235億円もの融資を受けていた。これ以外にも、府民信組を迂回させて新千里ビルに480億円もの大金を融資させたこともあったという。いずれにせよ、南野氏は大阪府民の預金を預かる金融機関のトップという立場で大阪進出を目指す富士銀行に食い込み、新千里ビルを、大阪を代表する不動産賃貸業者へと成長させていったのである。
 とはいえ、こんなことがいつまでもまかり通るはずもなく、結局、南野氏は、イトマン事件と大阪府民信組の乱脈融資を巡る背任罪に問われることになり、96年に有罪判決を受けて表舞台から姿を消した。だが、南野氏を巡る疑念はこれだけでは終わらず、17年後に再び世間を賑わせることになった。2013年、ナンノグループは大阪国税局から、2011年3月期までの6年間で約30億円の所得隠しを指摘されて税務調査を受けた。30億円のうち23億円は、グループが経営するゴルフ場を利用して実体のない取引で意図的に損失を増やした認定されたものだ。
 バブル期に急成長した不動産賃貸業者と言えば、末野兼一氏が率いた末野興産がとりわけ有名だが、同社は住専問題に関連して96年11月に経営破綻し、歴史から名を消した。一方で同じようさまざまな問題が指摘されながらも現在まで会社が存続しているナンノコーポレーションは、見事に時代の荒波を切り抜けたと言えるだろう。バブルでのし上がった不動産賃貸業者は、今も大阪北摂エリアを代表する会社として、確かな存在感を放っている。